小笠原初頭の言葉は、その特徴的な島の歴史が示すように日本語と英語が混合したものになっているようです。
島の最初の入植者は太平洋諸島民と欧米系人で、後から日本人が入植しました。明治期には島民は日本に帰化され、太平洋戦争時には全員内地へ疎開しました。戦後米軍による施政下では欧米系島民だけが帰島を許され英語で教育をうけ、1968年の小笠原返還協定により欧米系島民は日本語講座を学びました。つまり、もともといろいろな言語が接触していたところへ、英語だけの時代があり、その後日本語で生活をしていかなくてはならない状況になったのです。旧島民には日本の内地の大学ではなく、バリやアメリカの大学に進学した人がいたり、米軍に従事した経験のある人もいるようです。
小笠原の言葉は日本語の文法構造に英語の単語や句が取り入れられている混合言語なのですが、ルー語でもFMラジオJ‐WAVEとも違い独自のルールがあるようです。英語と日本語のそれぞれは正しく発音されます。欧米系島民は英語・日本語・小笠原語の三カ国語話者だそうです。
参考文献
「小笠原ことばしゃべる辞典」、ダニエル・ロング、南方新社、2005年